一年の計は……
めろりん
「さすがに今日は、人通りが少ないですわね…」
 エモーションは、公共空間(オープンネット)から<ORACLE>へ続く大通りを歩いていた。  いや、歩いているという言い方は合わなかった。電脳空間では、重力は無い。「大通りのようなルートをふわふわと飛んでいた」と言ったほうがいい。学術機関専用ネット<ORACLE>へ行く道、ちなみに、道というものもないので、<ORACLE>のほう、方面、という感じだ。
 普段であれば、<ORACLE>のほうに近づいていくと、それなりに人が多くなってくる。資料を預ける人、閲覧する人などが多くうろついている。電脳空間での物の見え方は、その個体によって違ったが、エモーションにとっては、それらアクセスをしてくる者は、人のように見えた。
 その、人の数、つまりはアクセスの数が、今日は少ないように感じられた。
 それもそのはず、今は年の初め。全世界的に年末年始にかかっていて、学校のほとんどは休みに入り、会社や研究所も同様。ごくたまに、休日出勤と思われるユーザーからの問い合わせが来るくらいだ。
 ネット全体のトラフィックは増えている。しかし、特定の場所からのアクセスしか受け付けない、且つ、ユーザーID必須、という<ORACLE> へは、そこらへんのパソコンから簡単にアクセスできるものではなく、使用できる端末のある団体、学校や研究機関が休みのときは暇になるのが当然だ。
 ときどきすれ違う”人”を見ながら、エモーションは「お正月だっていうのにお仕事なんて、大変ですわよねぇ〜」と他人事のように呟いた。
 彼女は先ほどまで、音井家のリビングにいた。年末年始の休暇ということで、親戚一同が集まっていたのだ。しかし、音井家の場合、親戚一同の中にはロボットも含まれた。エモーションの「親」であるカシオペア博士の義理の娘が音井みのるで、彼女はみのるの「姉」のような存在でもある。そういう理由で、エモーションが現実空間に姿を現せる3Dプロジェクターが設置され、彼女も新年の集まりに参加していた。ちなみに、ロボットでもないエモーションが当然のように呼ばれるのだから、音井家には「音井ブランド」をはじめ、A−ナンバーズのロボットたちがゾロゾロといたのも当然の話。
 そんな集まりの中、ロボットたちよりも先に、人間のほうの限界が来て、夜も更けたころに会はお開きになり、現実空間の人やロボットは、それぞれの居場所へと戻り、エモーションもまた、カシオペア博士のラボへ帰ろうとした。しかし、彼女の電脳に、あの場所に参加できない人の顔が浮かんだ。
 専用ネット<ORACLE>の管理者、オラクル。彼は電脳空間から出られない。
 もしかしたら訪れる人もいなく、淋しい思いをしているのではないか、と気を回し、”家”へ帰る前に<ORACLE>へ寄ってみようと思ったのだ。
 緑色の格子が走る基面の上を、一定の高さを保ってフワフワと進んでいく。ライムグリーンの髪がゆるりと波を打ってなびいた。
「たまにはこうやって、お行儀良くするのもいいかもしれないですわ」
 普段なら電脳空間を天地構わず奔放に飛び回る彼女だったが、今日ばかりは大人しめだ。年の初めくらいは心を引き締めていこうという心構えのようだ。
 そうしてフワフワと舞いながら彼女は<ORACLE>へとたどり着く。
 彼女の目の前に広がるのは、レトロな様式の白い色をした大きな建物と、それを取り囲む高い鉄格子と門。
 エモーションは、閉ざされた門の前に立ち、門に取り付けられた呼び鈴に手をかけた。それを押そうとして、彼女はふと、そのそばにおいてある見慣れないものに目を留めた。
 竹を斜めに切って立て、根元を松や南天で飾って藁で巻いたもの、門松だった。
「……あまり似合いませんわね」
 エモーションは、現実空間にあるものを目にしたことはなかったが、モニター画面越しや、電脳空間にあるヴァーチャルな家で、そのようなものをいろいろと見たことがあった。しかし、彼女の経験上、門松があったのは、クリスマスツリーがある家よりもうんと少ない。たぶん、世界的にみると超限定された地域でのもの。日本限定に間違いない。そんな日本のものと、<ORACLE>の洋風な建物、似合わないのが普通なのだ。
 彼女は「まあいいですわ、私の家ではないですし」と笑い、呼び鈴を押す。門扉の支柱に取り付けられた、図書館にはあまり似合わない呼び鈴だったが、そこへ向かってエモーションは深々と頭を下げた。
「こんにちはオラクル様、いらっしゃいますか?A−E EMOTION:Eleme……」
「ようこそエモーション、開いているからどうぞ」
 門柱を通して発せられたオラクルの声が、エモーション恒例の丁寧だがいやに長い挨拶を途中で遮った。
 それと同時に、カシャン、と鍵の開く金属音が小さく響く。
「……あらぁ、マイペースのオラクル様にしては随分とせっかちですこと」
 鉄の門扉を抜けたエモーションは、丁寧に両手でそれを閉じる。
 彼女はどうやら、あのオラクルでさえ「エモーションの名乗りの挨拶は時間ばかりかかる」というのを学習したことを、まだ知らないようだ。
 軽い足取りでもって、建物と同じ色をした敷石の上を、トントンと歩いていく。そしてすぐに、彼女は<ORACLE>の玄関へ到着した。
 彼女の目の前には、特大サイズの両開きの扉。この図書館のカウンターに使われているのと同じ材質でできた、重厚なものだ。
 その扉の中央、高さはエモーションの目の高さよりも斜め45度上くらいの場所に、普段見かけないものが取り付けられていた。
「……こちらも似合いませんわね」
 <ORACLE>の玄関には、藁製のしめ飾りが取り付けられていた。
「今度は一体、オラクル様はどなたの影響を受けたのかしら」
 エモーションは数歩引き下がり、遠くから、扉と飾りを眺めた。明らかに、洋風の建物と和風な飾り物は違和感がある。しかし、全く合わないわけではない。
 彼女が以前、信彦から正月の風景として、日本の音井ロボット研究所の玄関に、音井教授をはじめ正信やみのるが勢ぞろいしたスナップ写真を貰ったことがあった。そこには、洋風の家に和風な正月飾りがやはりあった。
 それを思い出し、正信ちゃんの家がああなのだから、<ORACLE>のこの飾りも有りかもしれないですわね、とエモーションは妙に納得した。
「こんにちは〜」
 普段であれば通らないホール。エモーションも、他のAナンバーズと同じように、オラクルの元を訪れるときには、<ORACLE>の天井や壁を突き抜け、ダイレクトにカウンターのど真ん前に降りることが多かった。年に一度くらいは、きちんと玄関先からお伺いするのも礼儀かと、今日ばかりはショートカットを封印する。
 天井の高いホールを進んでいった先に、オラクルのいるカウンターが現れる。彼は、いつもと同じようにその中で座り、電脳空間の令嬢を笑顔で出迎えた。
「いらっしゃい、エモーション」
「あけまして、おめでとうございます。オラクル様」
 エモーションは改めて、深々とお辞儀をした。さすがに、名乗りの挨拶は省いたが。
「今年もよろしく頼むよ」
 オラクルも椅子から立ち上がり、カウンターにつくくらいに頭を下げた。
「あけまして、おめでとうございます。オラトリオ様、お兄様」
 くるりと後ろを振り返り、ソファに座っていた先客たちにも、新年の挨拶をする。
 もともと、ロボットには寿命は無いようなもの、時間の概念はないのかもしれない。昼も夜も、時間の経過も、彼らにはほとんど影響を及ぼさない。しかし、人間中心の社会の中で存在していくには、人間の風習に合わせたほうがいい、と、このような時期的な挨拶をする。
「おめでと、お嬢さんもことし一年、よろしくな」
 オラトリオは女性が好む華やかな笑みでもって、彼女に答えた。
 その向かいに座るコードは、彼女のほうをチラリと見て、軽く頷いただけだった。
「お兄様におめでとうございますって言うの、今年になって何回目かしら」
 空いているソファに腰を下ろしながら、エモーションは口元に手を当てて軽く笑う。
 普段からカシオペア博士の研究室に出入りしているコードは、エモーションが数時間前まで居た、現実空間の音井家の新年の集まりにも顔を出していた。さらには、年越しカウントダウン直後の日付が変わったときにも、珍しく博士の研究室にいた。そのときにそれぞれ、兄妹は「あけまして おめでとう」と言っているので、いまさらな感もある。
「何度言ってもいいんじゃないかな」
 オラクルはエモーションの前に、小さな茶碗を差し出した。
 こと、と小さな音とともにローテーブルに置かれた茶碗。
 普段出される、取っ手のついた洋風のカップとは違う。湯飲み用の茶碗だった。
 そこに満たされていたのは、白く濁った液体。あつあつのお椀からは、甘い芳香が立ち昇っている。
「エモーションは未成年だから、酒は酒でも、アルコール抜きのほうをね」
 茶碗の中の見慣れない飲み物は、甘酒だった。
 ちなみに、稼働年数から言ったら、彼女のほうが年上で、しかも未成年ではない。しかし、とりあえず『設定年齢』のほうを尊重する。
 よく見れば、同じ器はオラトリオとコードの前にも置いてある。どうやら、普段出されるお茶が全員の分、甘酒に変わっていたようだった。未成年だからというくくりでは無いらしい。
 エモーションはそっと茶碗を手に取ると、口元へと近づける。ほわりと舞い上がった香りは甘さのほかに、やはり酒のようなにおいも混じっている。
「それではいただきますわ」
 やけどをしないように、と、そろりと口をつける。
 そもそも電脳空間で火傷とかというのもおかしい話ではあるのだが、オラクルと愉快な電脳空間の仲間たちの「人間ごっこ」はすでにここで定着している。
 フーフー吹きながらそろそろと口をつけ、砕けた米粒が混じったとろとろの甘い液体を啜る。彼女はなんだか、ほんわりと体が温まるような気がした。
「おいしゅうございます」
 視線でもって評価を求めているオラクルに、エモーションは笑顔でもって答えた。
「あら、そういえばオラクル様、玄関のお飾りと、あと門松、新年らしいですわね」
 まさか<ORACLE>(ここ)で見られるとは思いませんでしたわ、と呟いた。
 そのエモーションの言葉に、コードとオラトリオは首を傾げる。
「え?そんなモン飾ってあったっけ?」
「俺様は見かけなかったがな…」
 オラトリオも、コードも、<ORACLE>にそのようなものが飾ってあったことに、気づいていなかった。
 いちおう、この2人も、年が明けてから<ORACLE>に足を踏み入れていたので、年越しを<ORACLE>内で過ごして気がついたら年を跨いでいた、気がついたら飾り物が出てた、なんてわけではない。
 ようやっと、正月っぽい飾りに気づいてもらえた、と、オラクルは顔を綻ばせる。
「気づいてくれたのはエモーションが初めてだよ」
 と同時に、ジロリと横目でオラトリオたちを睨む。
 オラクルは、今まで何時間もコードやオラトリオと雑談をしている間、この話題がいっこうに出る気配が無いことに、腹を立てていた。彼も、この来客たちがいつ気づくか、いつ話に出すか、と心待ちにしていた分、溜まっている鬱憤も大きくなっていた。
「まったく、年が変わる数日前から飾っていたし、年が明けてしばらく経つっていうのに、みんな気づかないなんてね。一体どこに目を付けているんだろうと思うよ」
 オラクルは「みんな」と称したオラトリオたちを睨みながらブスッと吐き捨てた。
 一方、話の槍玉に挙げられている2人は返す言葉もない。コードは憮然とした表情で微動だにしなかったが、内心では冷や汗を垂らしていた。オラトリオにいたっては、本当に冷や汗を垂らしている。必死で電脳を繰って、<ORACLE>の中の状態を思い出そうとするが、オラクルがいっているようなものは記録にない。
 いちおう、オラクルは、彼なりにいろいろ現実空間のことを調べ、タブーとされる日程の飾り方を避け、年末の幾日か前から、飾り物を置いていた。間違っても、来客のときだけポップアップでポンと出しているわけではない。
 普通に<ORACLE>にやってくれば、気がつくはずなのだ。
「新年くらいは礼儀正しく、って玄関から入ってきて、よかったですわ!」
 嬉しそうにいったエモーションの言葉に、オラクルもピンと来た。
 コードも、オラトリオも、普段は横着をして、<ORACLE>の天井や壁を突き抜けて入ってくる。コードにいたっては、ゲートが閉じていれば、『細雪』で門やら壁やらを切ってしまう有様。玄関から入ってくることなんて、まずなかった。
 そして今回も、そうだった。
 門や玄関を通らないのなら、門松や正月飾りに気づかないのも当然のこと。
 しかも、気まぐれでふらりと来るエモーションやコードはともかく、オラトリオはしょっちゅう、<ORACLE>に来ている。その彼が気づいていないのいうのだから、いかに普段からここを訪れる者が非正規なルートを通っていて、玄関など使われてないというのが分かる。
「そうだよ、エモーションは行儀がいいから、そのご褒美と言ってもいいね」
 オラクルは、エモーションに対してはご機嫌で、笑顔いっぱいだ。
 しかし、同席しているほかの2人、オラトリオとコードに対しては冷ややか。
「まあ、この人たちはたぶん、ずっと気づかないままだったんだろうさ!だって、まともに玄関から入ってきたためし、ないじゃないか」
 オラクルの嫌味と、コッソリと<ORACLE>のサーチをしていたオラトリオが玄関の映像をキャッチしたのは、ほとんど同時だった。
 日ごろオラクルが口にしている「きちんとしたルートを通って来い!天井突き抜けるな!壁すり抜けない!」というのをきちんと守っていれば、気づかないなんてことはないのだ。
 目的のモノ発見!と浮かれたのも一瞬のことで、オラクルから飛んでくる棘がたっぷり含まれた小言の攻撃を受ける。
「私はいつも言っていたよね?正規のルートで来い、って。おまえたちの耳にいつタコができるかって、楽しみなくらいにさ」
 オラトリオは当然のことながら、あのコードでも、今回ばかりは反論できない。今まで言われ続けてそれを無視し続けたことに対する苦言は、言われて当たり前。口ごたえしようものなら、最悪、出入禁止を言い渡されかねない。ネチネチ言われて口答えもできなければ、何も言い返せないからといって席を立つこともできない。尻尾を巻いて逃げたと思われたくなくて、帰るにも帰れない。オラトリオにいたっては、ガックリ項垂れて頭を抱えている。
 それからしばらくの間、オラトリオとコードは、オラクルの嫌味を聞かされ続けたのだった。


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