Rush Trash
めろりん
 1年の終わりを迎えようとするこの時期。カレンダーの残りが僅かになってきたころ。
 現実空間では、人間たちはみな、忙しなく動き回っている。
 今年のものは今年のうちに済ませてしまおうと、仕事にラストスパートをかけたり、大掃除をしてみたり、と、あちらこちらで忙しい。
 それにあわせるように、電脳空間のほうも忙しさを増す。<ORACLE>にも、世界中から駆け込みでのデータ請求のアクセスが絶えない。
 <ORACLE>の管理者であるオラクルは、顧客からの問い合わせにいちいち答えることはしない。応答プログラムで対応できるものはそちらですべて済んでしまう。応答プログラムで対応できない、複雑な内容だったり、機密のランクが上位で審査が必要だったりする情報だったり、という場合のみ、彼の主人格が現れる。
 普段からそのような体制を敷いているので、オラクルが直接出て行かなくてはならない案件の比率としては変わらないはずなのだが、何しろ、アクセスしてくる絶対量が増えるのだ。そうすると、いやおうなしにも忙しさに拍車が掛かる。まさにネコの手、オラトリオの手を借りたい状態。しかし、当然ながらオラトリオのほうの仕事、現実空間における監査も忙しさ真っ最中だった。理由は、オラクルとほぼ同じ。年末から年始にかけては、監査先が休業に入るため、だ。
 オラクルは、次々と押し寄せてくるアクセスを順番に片付けながら、手元のウインドウに向かって、人のいい笑顔で礼を言う。愚痴のひとつもこぼさないし、嫌な顔をすることもない。
 それがオラクルに与えられた役割。
 それを淡々とこなすだけ。
 ロボットが人間のために使役する、そのように作られたのだから、仕事を果たすだけ。
 オラクルは、カウンターに並ぶいくつもの画面を操作し続ける。
 彼に不満はなかった。
 人間の生活パターンというものがあり、それでおおよそ、アクセスが増える時期というのも、彼は把握していた。大きな連休前、四半期、半期や年度末などの区切りになる時期、そして、年が変わる直前。
 あらかじめ、忙しくなるということは、オラクルも分かっていた。
 画面越しのヒトの顔を、眺める、というより、記憶の上辺で流しながら、ただ、アクセスを処理していく。
 並列で演算をこなしている電脳の片隅で、自分には理解できない「ヒトとの間のストレス」に悩まされているであろう相棒のことを気にかけながら。





「オラクル、大掃除手伝いに来たぜっ」
 オラトリオは<ORACLE>の、オラクルが普段居るカウンターの前へと降りる。いつものとおり、入り口を通ることはせず、直接、目的の場所に転位してきた。
 淡い紫色をした光を纏わりつかせながら降りてきたオラトリオは、オラクルが心配していたのとは裏腹に、意外に元気そうな様子だった。
 そんな彼の様子を見て、オラクルはホッと息を吐く。
 もしかしたら、おちゃらけた態度を取るのも辛いのかもしれない、でも、私を心配させないように、がんばって「装っている」のかもしれない、そうオラクルは思い、必要以上にオラトリオのことを気遣うことはしなかった。
 オラクルは、オラトリオに余計な気を回させることはさせたくなかったのだ。
 オーバーワークなんじゃないか?ストレスが溜まっているんじゃないか?と言いたいのを押し殺しながら。
 そうしながら、見るものを穏やかな気持ちにさせる笑みを作った。
「大掃除って……」
 カウンターの中で座っていたオラクルは顔を上げると、高い位置にあるオラトリオの顔を見上げる。
 オラクルの作られた笑顔は、すぐに本物の笑い顔へと変わる。電脳空間にはおおよそ似あわない「大掃除」という言葉に、苦笑いしてしまった。
 笑う相棒に言い訳するように、オラトリオはカウンターに片肘をついて状態を軽く凭れ掛からせ、撫で付けられた金色の頭を掻いた。
「いやぁ、あっち(現実空間)では、家中が蜂の巣をつついたような大騒ぎでさ。窓ガラスを取り外したりだとか、冷蔵庫の中身を全部出したりだとか、掃除してるんだか散らかしてるんだか分からない状態だぜ」
 年の瀬が押し迫り、年内の汚れを一気に片付けてしまおう、ということらしい。シンクタンク・アトランダムはシンガポールにあるのだが、そこに住まいや研究室を構えている音井家の人間たちは日本人、普段は地方の風習なんぞ無関心、な正信も、みのるの無自覚な迫力に圧倒されるように、半ば強制的に、大掃除というイベントに参加させられている。
 オラトリオは、呆れたような顔をしながら、頭にやった手を帽子に伸ばし、無造作に掴んでポイッとカウンターの上へと投げ出した。
「でさ、身長が高いからって、あっちこっちで重宝されちまってさぁ」
 言いながら、オラトリオは自分の額の上辺りで、手をヒラヒラとさせた。
「カルマやシグナルは?パルスだって。音井家にいるんだろう?もしかして彼らも……?」
 一時期よりうんと暇になった仕事の手を休め、オラクルは、相棒の顔を見上げる。そして、まさか?と、半信半疑で言ってみたオラクルだったが、それはオラトリオにすぐに肯定された。
 座ったままの管理者の顔を、少し高い位置から見下ろしながら、守護者は小さく首を傾げる。
「真っ先に駆り出されたさ。でも、あんなにいるのに足りねぇのかな。まあ、実質的に使えるのはカルマくらいなもんだろうけど」  その、自問自答のような言葉に、オラトリオは勝手に納得して、ウンウンと頷いた。
 オラトリオの言うところによると。
 音井家に普段いるロボットたちは、大掃除ということで、当然のことながら、大掃除に駆り出されてしまった。
 しかし、そのなかでもまともに手伝いになるのは、カルマくらいしかいなかった。
 ハーモニーはいいところ、高所の電球替えくらいでしか出番は無い。パルスは肝心なときに眠ってしまう悪癖があり、まるで見計らっていたかのように寝落ちしていた。
 シグナルはさすがに最新型、大掃除開始当初は、けっこうな活躍(?)をみせていた。が、しばらくして、舞い上がった埃に信彦が鼻をむずがらせ、大きなくしゃみをしてしまってからは、もうダメだった。ちびに変身したシグナルでは、大掃除の手伝いにならない。それどころか、あっちこっちを引っ掻き回して、大掃除をする場所をさらに増やしかねない。
 そんなこんなで、音井家において、一貫して「戦力」になるのは、カルマしかいなかった。
 そこへひょっこり、オラトリオが顔を出してしまったときには、彼に向かって差し出されるのは、雑巾やら箒やらである。しかも、正信やカルマよりも、うんと背が高い。そんな彼が重宝されないわけが無い。
「正信には床の下を掃除する間サーバー持ち上げててくれって言われるし、みのるには蛍光灯取り替えてとか言われるし、挙句の果てには、教授の研究所の障子張りを手伝いに日本に行ってほしいとか」
 俺は情報処理専門のロボットだし、肉体労働はこっち(電脳空間)だけでいーの、と言いながら、オラトリオはニヤリと含みのある笑みを浮かべる。
 オラクルは、現実空間でのオラトリオの様子を思い浮かべ、プッ、と小さく吹き出した。
「電脳空間(ここ)では『肉体労働』ではないのに……ここには体(ボディ)は無いんだし」
「キリがねぇから、逃げてきた。ただでさえ、こっちで日曜大工やらされんのに、あっちでもなんて、いいように使われまくりだって」
 詳しくは言わなかったが、いちおう、音井家で頼まれた「仕事」はあらかた片付けてきたオラトリオだった。頼まれたことは、本来の彼の業務からはかけ離れている。というか、全く関係ない。しかしそれでも、断らずに手伝ってしまうあたりは、彼が普段「すちゃらか」の仮面の下に隠している生真面目さの賜物だ。
 やれやれ、といったように、オラトリオは小さく笑ったまま、首をぐるりと大きく回す。ロボットには無いはずの、肩こりを解すかのように。
 そのオラトリオの言葉に、オラクルの目がキラリと怪しく光った。
「あ、逃げてきたって、やっと白状したな」
 しがらみから逃れられた開放感からか、オラトリオはうっかり、口を滑らせてしまった。そしてそれを聞き逃すオラクルではない。  ガタン、と音を立てて椅子から立ち上がると、片方の手でオラトリオのコートの袖口を握り身柄を確保し、もう片方の手を上空にかざし、スッと横に引く。次の瞬間には、オラトリオの頭上に、恐怖のデータ雪崩のタネがずらりと現れる。
「まあ、手伝ってもらうからには手加減はしておくけどね」
 普段であれば、オラクルの、宙に伸ばした手はすぐに振り下ろされて、ファイルの束がドサドサとオラトリオの頭上に降り積もるのだが、今日は少し違った。オラトリオをぐるりと取り囲むようにしているものは、いつものファイルや冊子ではなく、掃除機やらほうきやら、雑巾やらと、現実空間で見かけるような大掃除グッズである。
「これが最新型のサイクロン掃除機、こっちは昔ながらの竹箒、そっちは不織布の掃除モップで、あれは静電気を利用したはたき……」
 最新型の機械から、長く庶民に愛されている道具まで、掃除のための道具が、オラトリオを拘束するように宙を浮きながら取り巻く。
 オラクルは、頭数が1つ増えたことだし、幸いなことに、暮れという時期の関係で<ORACLE>も少しは暇になるということだし、と、図書館の大掃除をすることにした。
 電脳空間でも「ゴミ」は溜まる。ファイルを消去しても、完全に消えずに一部が残ったり、移動やコピーの際に余計なものができてしまったり、と、不要になったデータの断片が、あちこちに残っていたりするのだ。それらは、現実空間風に、ゴミ箱に残されていたり、書架の隙間や部屋の隅にホコリとして溜まっていたりする。性質の悪いゴミは、床や壁にこびりついていたり、叩くと嫌な臭いや粉塵として舞い上がることもある。ウイルス由来のゴミだったりすると、場合によっては気分が悪くなる、ということもある。もちろんそういう危険なゴミは、オラトリオの担当になる。
 せっかく現実空間から逃れてきたというのに、<ORACLE>でも大掃除をやらされる破目になるとは、オラトリオも思っていなかった。かといって、いまさら、現実空間にとんぼ返りするわけにもいかない。
「『ヘン臭い雑巾』を、その帽子の代わりに頭に落としてもよかったんだけど!そうされたくなかったら、さっさと手伝うことだ!」
 瞳の雑音色をキラリと煌めかせて、オラトリオを軽く睨みつける。
 <ORACLE>の管理者に、オラトリオは逆らうことはできなかった。
「やべっ……せっかく逃げてきたのに結局、こっちで捕まるなんて、失敗したわぁ」
 なかば強引に、右手には昔ながらの高ぼうき、左手にはレトロなちり取りを持たされたオラトリオは、オラクルに背中を押されて、図書館の外へと追い出される。
 グリーンのラインが縦横に走る基面の上に、風に吹かれるようにして転がる草のかたまりのようなものや、吹き溜まりになっている落ち葉のようなものがある。ほとんどが、<ORACLE>内、または近辺で発生したデータのゴミ、もしくはオラトリオが相手にした侵入者の残骸。
 ここに来ている以上、知らずにゴミを増やしているのかもしれない、そう思うと、協力せざるを得ないのか。とオラトリオは腹をくくる。
 しかしいったいどこまでが<ORACLE>なんだろう……と、果てしなく続く、グリーンに輝く基面のむこうを見やると、ガックリとうなだれたのだった。


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